カテゴリ:妊娠・出産( 5 )

出産について その5

私は、出産というものを甘く見ていました。
自分は安産だと信じていた(体型から言っても…)し、周りもそう思っていました。
でも、最後まで何が起こるか分からない、それがお産だということを知りました。
「お産は病気ではない」と言うし、周りにお産で恐ろしい目に遭ったという話など
聞いたことがなかったからかもしれません。
でも私がこんな状況になってみると、
「実は自分も出産のときにこんなことがあったの…」という話をいくつか聞くようになって、
自分が知らなかっただけで、出産にはいろいろとリスクがあるんだと知りました。
妊娠し、お腹の中でちゃんと育ち、
無事に元気な赤ちゃんが生まれるというのは奇跡みたいなことなのです。


私の身に起きた「常位胎盤早期剥離」という病気は、
現在のところ原因も分からず、そのため予防もできず、
いつ起こるか、誰に起こるかも分からないという大変恐ろしい病気です。
重症の妊娠高血圧症候群がある場合におこりやすいといわれていますが、
実際には関係なく発症することも多いです。
私は妊娠高血圧症候群ではありませんでしたし。
産院の母親教室で話は聞いていましたが、
まさか自分の身に起こるとは考えてもいませんでした。

剥離が起こったら一刻も早く胎児と胎盤を取り出さないと母体も危険にさらされます。
産科医は母体を助けるのが先決で、
「胎児はついでに助かれば良い」くらいの気持ちでいます。
それくらい、胎児死亡率が高いのです。

だから、娘には「よく助かってくれた」と感謝の気持ちでいっぱいです。
生きたいという気持ちが強かったのかもしれません。
6ヶ月間、娘は本当に頑張りました。すごく頑張った人生だった。
もちろん後悔することもいろいろあるし、辛い思いもしたけれど、
今ではかわいかった思い出しか残っていないです。
もっと一緒にいたかったけれど・・・。


娘のこともブログに書こうと思っていたのですが、
ブログ向きの書き方じゃなくなってきた気がしたので、本館に載せることにしました。
長いこと本館をいじってないから、できるのか不安…。


追記:
本館に娘のページを作りました。
興味がおありの方はどうぞ。
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by nojidon | 2009-08-21 23:20 | 妊娠・出産

出産について その4

出産について その3 の続きです。


食事は、手術の翌日はスープ、手術後2日目には重湯、3日はおかゆに普通のおかず、
4日目からは普通食になった。
食事が豪華な産院で、とにかく量も質もすごい。
授乳しているとお腹が空くというから、
他のお母さんたちはちゃんと食べていたのかもしれないが、
私は授乳してない上に体調も良くないのであまり食べられず。
お見舞いにきたjaraや母に食べてもらっていた。

何日目かに、おっぱいが張った。
母乳は搾れば搾るほど(赤ちゃんが飲めば飲むほど)作られる。
でも母乳は血液から作られるため、
貧血状態なのにガンガン作られたらいつまでも回復できない。
なので、氷で冷やして張りをおさえる。
NICUから、搾乳して持ってくるようにと言われるようになると、
看護師さんに搾乳してもらい、冷凍保存してjaraがNICUに持って行った。
残念ながらあまり母乳の出は良くなく、
最初の頃は娘の必要な量が少なかったので賄えたが、
そのうちに足りなくなり、ミルクと混合になった。

手術後2日目からだったか、点滴のバッグをぶら下げているスタンドを杖代わりに、
歩く練習を始めた。
部屋の中、ほんの3mほどを往復。その回数をだんだん増やしていく。
そのうちに杖なしで、壁伝いにゆっくりと歩けるようになる。
心配なく歩けるようになったのは1週間を過ぎた頃だったか。
その頃には浮腫みも取れ、顔色もだいぶ良くなっていたようだ。

医師から「驚異の回復力」と言われ、予想より早い12日間での退院。
でもまだ貧血状態にあるため、無理はしないように、
翌日は大事を取ってのんびりし、赤ちゃんへの面会は翌々日が良いだろうと言われる。

早く会いたい。でも医師の説明を聞くのが怖い。
そんな気分だった。
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by nojidon | 2009-08-18 23:10 | 妊娠・出産

出産について その3

出産について その2 の続きです。


この日から毎日、jaraはNICUと産院を往復するようになった。
2時間ほどの面会で、写真を撮って来てくれる。
私はその写真を見ながら、なんだか現実ではないことのように思っていた。
大きなお腹は知らないうちにいきなりぺたんこになり、
中に入っていたはずの赤ちゃんは自分のそばにいない。
会ってもいない。ただ写真で見るだけ。
だから現実感がなかったのかもしれない。ひどい話だが…。

手術から3日ほどは、血栓予防のために空気圧迫装置を足の裏につけ、
弾性ストッキングを履かされた。
ベッドの上で体位を変えるなどなるべく動くよう指示されたが、
これが痛くてたまらない。
手術で切られた部分が痛いのか、それとも子宮が収縮しているせいで痛いのか、
よく分からないがとにかく痛い。3日間ほどは苦しんだ。

尿道カテーテルを入れられ、腕には点滴。
数時間おきに血圧を測りに来る。
何度も採血、血液検査。
胎盤早期剥離は大出血を伴うため、ひどい貧血状態。
幸いギリギリ輸血をしなくて済む程度だったらしい。
輸血をした方が回復は早いがどうするかと訊かれたが、
血液製剤に頼るのはちょっと…ということで自力で頑張ることにする。
造血剤を点滴。
ベッドの上で上半身を起こすと、ぐるぐる目眩がする。
携帯電話のカメラで自分の顔を撮ってみたら、すごく浮腫んでいる上にすごい色で驚く。


続きはまた後日。
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by nojidon | 2009-08-16 23:42 | 妊娠・出産

出産について その2

出産について その1 の続きです。


車椅子に乗り、手術室へ向かう。
服を脱いで、自分で手術台に上がる。
横を向いて背中を丸めて、背骨のあたりに麻酔の注射。
すごく痛いって聞いたことあるけれど、お腹の痛みが強すぎてあまり分からなかった。
(予備麻酔が効いていたのかも?)
その後、酸素マスクみたいなものもしたが、あれは全身麻酔だったのかもしれない。
胸元をいじられて、「痛いですか?」「冷たいですか?」などと聞かれる。
ほとんど感じなくなった頃、意識が遠のいていく中で、
「帝王切開だと保険がきくなー」と呑気に思っていた。
局部麻酔の場合は切られる感覚があるかもしれないと心配していると、
「もう手術始まってますからねー」と言われる。
それで「良かったー全然感覚ないや」と安心。痛みは全くなかった。
(全身麻酔だったなら当たり前か)
でもお腹をゆさゆさ揺さぶられている感じはあった。
その時に胎児を取り出していたのだろうか?

ほとんど意識はなかったが、一度、時間を読み上げる声は聞こえた。
それが誕生の時間だったのだろう。
でも泣き声は聞こえなかった…。

手術後、そのまましばらく手術室にいたのではないかと思う。(覚えていない)
医師から「赤ちゃんを他の病院に移します」といった簡単な説明を受けたような気がする。
ストレッチャーに乗せられ病室に移る。
寒くはないのに体がガタガタ震え、歯がガチガチと鳴る。
まだ意識ははっきりとはしていなく、
でも目を開けると病室のソファに座って心配そうに私を見る両親が見えた。
妊婦健診で担当してくれていた医師が、少し詳しく私に説明してくれたが、
途中で何度も睡魔に襲われる。
まだ麻酔が切れていなかったのかもしれない。
そんな状態だったのでその時の説明はほとんど覚えていないが、
赤ちゃんは救急車で他の病院に運ばれて、jaraも付き添っている、
ということだけは分かった。

その夜遅くjaraが、娘が運ばれた病院から私が入院している病院へ帰ってきた。
娘の病院で受けた説明を私に話してくれたが、あまり覚えていない。
後に産科医から聞いた話では、
私の体に起こったことは「常位胎盤早期剥離」という状況で、
本来なら胎児が外に出てしばらくしてから子宮から剥がれて出てくるはずの胎盤が、
まだお腹の中に胎児がいるのに剥がれてしまうという状況。
胎児は胎盤を通して母体から栄養や酸素をもらっているので、
胎盤が剥がれると酸素供給がストップされてしまう。
娘は低酸素の状態、仮死状態(新生児仮死という)で生まれてきたのであった。
お腹から取り出したときにはぐったりしていたという。
jaraが我が子と初対面した時には、まだへその緒がついたまま、
アンビューバッグ(手動式人工呼吸器)で空気を送り込まれている状態だったらしい。
救急車でNICU(新生児集中治療室)のある他の病院に運ばれて行ったが、
搬送先がなかなか決まらず、なおかつ搬送中の道路状況が悪く
搬送には時間がかかったようだ。


続きはまた後日。
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by nojidon | 2009-08-13 23:53 | 妊娠・出産

出産について その1

出産から1年が過ぎ、書こうと思いながらなかなか書けなかった
出産についてのできごとを
思い出しながら少しずつ書いていこうと思います。

まずは自分の体についてを中心に。


2008年8月4日 妊婦健診(39週)
NST(ノンストレステスト:胎児の心拍数や胎動などを調べる検査)、
内診、超音波検査、すべて異常なし。
翌週の検診の予約の話の時に、医師から
「来週生まれてないってことはないと思いますが、一応予約しておきましょう。
子宮口がだいぶ開いているので安産ですよ」
と言われる。
初産は遅れがちと言われるが、今週中には生まれるのか~?と思い、
いよいよかと少しドキドキする。


2008年8月5日早朝 出産予定日2日前。
お腹の痛みで目が覚める。
波があるようなないような、陣痛なのかよく分からない感じ。
でも痛みの間隔が長いので、とりあえず横になって様子を見る。

いつも起きる時間になり、朝食を取る。jaraは会社へ。
しばらくして病院に電話をすると、
「陣痛のようだが、こうして話をしている間も痛くならないということは
まだ間隔がだいぶ長いということなので
病院に来て間隔が短くなるのを待つか、家で待つか、どちらでも良い」
と言われて、リラックスできるから家でもう少し様子を見て、
午後一番で病院に行くことにする。

でもその後、お昼前には痛みはすっかりなくなってしまった。
午後、再び病院に電話。
痛みがなくなったので、また痛みだしたら病院に行くことを伝える。

2時過ぎにjaraが午後半休して帰宅。
その後陣痛復活。間隔は短め。トイレに行くと少量の出血あり。
急いで病院に電話して、今から行くことを伝える。
歩いて10分かからない距離なので、最初は歩こうとしたのだが、
数メートル歩いて痛みがきたので、やっぱり車で行くことにする。
5分程度で病院到着。
jaraが駐車場に車を停めている間に自分で受付を済ます。

分娩監視装置で胎児の心拍数をモニタリング。
10分か20分か、時間はちょっと分からないが、
しばらくするとお腹がものすごく痛くなった。
波があるというのではなく、継続的に痛い感じだ。
でも陣痛ってこんなものなのか?と思い、ナースコールせずに我慢。
(これがマズかったのかもしれない…)

しばらくして看護師さんが来て、今度は内診だという。
待合室で待っている間(1分程度か?)は激痛で座っていられなく、
ソファにつっぷしていた。
内診の前に下着を取るとまた少量の出血が。(下着を取るのも激痛で大変だった)
医師に、痛みの間隔はどれくらいかと聞かれ、
「ずーっと痛いです…」(しゃべるのもつらい)と答える。
「ん~?破水してないですかね?」と聞かれ、
「わ、分からない…」と答える。

次の超音波検査で、仰向けにならないといけないのに
お腹が痛くてなかなか仰向けになれずにしばらくベッドに腰掛けていて、
やっとの思いで「えいっ!」と横になったのを覚えている。
でもこの頃はもう半分朦朧としていたかも。
超音波検査で異常が見つかったのか、
jaraと後から病院に来ていた母が診察室に呼ばれる。
「説明している暇はない。胎盤が剥離しているので帝王切開をします」
ということが告げられた。
後から気付いたことだが、この時にすでに予備麻酔をされていたようだった。
(肩に貼ってあった絆創膏で気がついた)


長くなったので続きはまた後日。
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by nojidon | 2009-08-11 23:54 | 妊娠・出産